一粒の麦~un grain de blé~

一粒の麦が、やがてたくさんの実をつけるように、自分の心でつづった言葉がこの世界に少しでも実りをもたらすことができますように…

【中原中也】不幸が人を磨く。本当だよ。【新文芸日記(精神哲学の巻)】

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不幸が人を磨く。本当だよ。(中原中也『新文芸日記(精神哲学の巻』より)

「一粒の麦」ブログの最初の投稿は、詩人中原中也の言葉を紹介したいと思います。

中原中也(1907~1937)は、「汚れつちまった悲しみに」や「サーカス」などの抒情あふれる傑作を数多く残し30歳の若さで夭折した、日本の天才詩人です。

私は個人的に、フランスのアルチュール・ランボーとロシアのセルゲイ・エセーニンと並ぶ世界の3大詩人ではないかと思っています。

 

中原中也は、生前にはたったの1冊しか自分の詩集を刊行していないのですが、ランボーの詩集を翻訳したり、エッセーを書いたりして、詩以外の「作品」を数多く残しました。今回ご紹介するのは、中也が昭和2年に書いていた日記の中の言葉です(中原中也著『新編中原中也全集 第5巻(日記・書簡)』(角川書店、2003年))。

 

昭和2年は中也がちょうど20歳のころで、詩人としても駆け出しのころであったと思われます。18歳のときに同棲していた女優の長谷川康子が、友人の小林秀雄の元に去り、中也はそのころ失意のどん底にいました。

小林秀雄とは、この女性をめぐって友情と恋愛が両立する「奇妙な三角関係」になったそうですが、やはり自分の女性がほかの男性にとられてしまったことは、中也に相当なショックを与えたと考えられます。

 

ただ、この言葉が意味する「不幸」はこの出来事だけを指すのではなく、中也が日ごろから強く感じている孤独や創作の苦しみなども含んでいると思われます。不幸を苦しみと置き換えれば、たくさんの苦しみが人間を成長させるという意味に捉えることができます。

 

中也はほんとうに繊細な心の持ち主で、その分苦しみも多かったと思います。自分の理想とする詩の表現と、それを思い通りに実現できないもどかしさに苦しみ、それでも詩を書き続けようとする詩人のひたむきな姿は、読む人の心を動かします。

魂を磨き続ける人だけが到達できる崇高な美しさが、中也の詩にはあるように思います。

 

スマホ全盛の時代、もう本を読むなんてめんどくさいとか、詩なんてかっこわるいとか、そういう風に思う方はたくさんいらっしゃると思います。でも、失恋したとき、孤独を感じるとき、挫折したときなど、苦しい時にこそ、詩を読んでみてください。詩の一句一句が心に沁みわたって、自分に寄り添ってくれるような感じがして、自分はひとりじゃないんだ、ときっと思えるはずです。苦しい時に読んだ詩の言葉は、心の栄養分となって、これからのあなたの人生をより実り多いものにしてくれるでしょう。普段は思い出さないけれど、ふとした時に詩の一節を思い出し、その時その時によって詩の味わい方も変わっていくもものです。その違いを発見したとき、自分の成長を実感できるでしょう。詩を読むことは、自分の内面をより深く知ることにもつながるのです。

 

中也や他の詩人の詩も、こちらのブログでご紹介していきたいと思いますので、ぜひお気に入りの詩を見つけて、詩の世界を味わってみてくださいね★

 

 

 

 

 

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